知れば知るほど奈良はおもしろい 2012年春号

知れば知るほど奈良はおもしろい 2012年春号 page 7/24

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5二上山雄岳と雌岳の二峰からなる二上山。古より神聖な山として崇められ、その美しい山容に日が沈んでいく様子は、まさに絶景だ。都から遠く離れたこの山に、時代の渦に巻き込まれ、自害へと追い込まれた悲劇の皇子....

5二上山雄岳と雌岳の二峰からなる二上山。古より神聖な山として崇められ、その美しい山容に日が沈んでいく様子は、まさに絶景だ。都から遠く離れたこの山に、時代の渦に巻き込まれ、自害へと追い込まれた悲劇の皇子・大津皇子が葬られたとされる。雄岳の山頂付近には、皇子の墓とされる「大津皇子二上山墓」がある。所葛城市加守問0745-48-4611(葛城市相撲館)時自由Pなし大伯皇女弟世とわが見む二上山を明日よりは人にあるわれやうつそみのおおくのひめみこ大津皇子の姉・大伯皇女はわが弟を想い、「明日から二上山をわが弟と見て偲ぼう」と哀しみ悼みました。二上山に弟を重ねて見る、辛い心情が伝わってきます。5写真提供:葛城市「記紀」が伝える地元に根付く奈良の伝承奈良には「記紀」ゆかりの地が多く存在する。そして、それらの地では、地元の人々が語り継いできた伝承がある。あまり知られていないが実に興味深い物語を2つご紹介しよう。「三輪」の由来に神様あり桃太郎伝説は奈良が発祥!?三輪山の「みわ」という地名は、そもそも『古事記』に記される神話にまで遡ることをご存知だろうか?いくたまよりびめその昔、活玉依毘売という美人がいた。ある夜、彼女の元に立派な美男が現れ、二人は恋に落ちる。ほどなくして姫は身ごもるが、男の素性が気にかかる両親は姫に「床の前に赤土を撒いて、糸巻きに撒いた麻糸の先に針をつけ、その男の裾にそっと刺しておくよう」言い聞かせる。翌朝、男につけられた麻糸は不思議なこかぎとに戸の鉤穴を通り、外に出ていた。糸の先を訪ねていくと美和山に至り、神社の所で途絶えていた。み娘の元に残った糸は三わ勾、つまり三巻だけ。以来、この地を美和(のちに三輪)と呼ぶようになったとおほものぬしのおほかみいう。男の正体は大物主神。細い鉤穴を通り抜けることができたのは蛇の姿だったから。大神神社では今も、大物主の化身として蛇神が信仰されている。日本最古の神社の一つ、大神神社神聖な山として崇められる三輪山『古事記』編纂者の一おおのやすまろ人・太安萬侶を輩出した古代の有力氏族・多氏の拠点であり、弥生時代最大級の集落跡、唐古・鍵遺跡で知られる田原本町。実はこの地が、桃太郎伝説発祥の地であるという。田原本町の黒田地区、宮古地区あたりは、「記紀」に記されている、第7代孝霊天皇の都「黒田廬戸宮」ではないかといわれている地ひこいさせりひこのみこと域。その天皇の皇子・彦五十狭芹彦命(吉備津彦)こそが、桃太郎のモデルといわれている人物だ。吉備津彦は、弟のわかたけひこのみこと稚武彦命とともに、大和政権の四道将軍として吉備国を平定したといわれる。この活躍や、大和政権と吉備国との対立が、後世の桃太郎伝説とつながっているのではないかとの見方もある。伝承地に一度足を運んでみては。黒田廬戸宮跡に立つ法楽寺参道に石碑が立つ7