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英雄として、また漂泊の王子として語られる倭建命。彼が、生涯を東奔西走する日々を送ることになった発端は、父と兄の恋争いにありました。父である第十二代景けい行こう天皇は、あるとき、美しい二人の乙女の噂を聞き、皇子の一人、大おおうすのみこと碓命を遣いに出して、宮中にお召しになりました。しかし、大碓命はこの乙女たちに恋をしてしまい、自分が契りを結んで、天皇には別の乙女たちを差し出しました。天皇にすぐ嘘を見抜かれた大碓命は、居心地が悪いのか、朝夕の食膳にも出ず、天皇と顔を合わせることをしなくなりました。そこで天皇は弟の小おうすのみこと碓命(のちの倭建命)に兄をやさしく諭すように命じられたのですが、小碓命は、やさしく諭すのではなく、あろうことか命をうばってしまいました。それを聞いた天皇は驚き、またその猛々しさを恐ろしく思い、宮廷から遠ざけるように西国、東国と各地の平定を命ぜられました。古事記には、倭建命の武功と望郷の思い、また大和を目前に落命する場面が切なく語られています。奈良県桜井市の日本最古の道、山の辺の道には国くにしのびのうた思歌の一つ「大和は国のまほろば…」の歌碑が建てられています。近くには父、景行天皇陵があり、日本の原風景が広がります。倭建命の故郷にたたずみ、その心に思いをはせてみてはいかがでしょう。景行天皇陵(天理市渋谷町)交□JR巻向駅から徒歩約15分[倭建命の国思歌(一部)]井寺池の畔にある、川端康成揮毫による国思歌の歌碑。(桜井市三輪)大和は国のまほろばたたなづく青かき山やまごもれる大和し美うるはし9