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記紀・万葉コラム Vol.10漂泊の王子となった倭建命

国思歌の歌碑
井寺池の畔にある、川端康成揮毫による国思歌の歌碑。(桜井市三輪)

漂泊の王子となった倭建命(やまとたけるのみこと)

[倭建命の国思歌(一部)]大和は国のまほろば たたなづく 青かき 山(やま)ごもれる大和し 美(うるは)し 景行天皇陵(天理市渋谷町)【交通アクセス】JR巻向駅から徒歩約15分

英雄として、また漂泊の王子として語られる倭建命。彼が、生涯を東奔西走する日々を送ることになった発端は、父と兄の恋争いにありました。父である第十二代景行(けいこう)天皇は、あるとき、美しい二人の乙女の噂を聞き、皇子の一人、大碓命(おおうすのみこと)を遣いに出して、宮中にお召しになりました。しかし、大碓命はこの乙女たちに恋をしてしまい、自分が契りを結んで、天皇には別の乙女たちを差し出しました。天皇にすぐ嘘を見抜かれた大碓命は、居心地が悪いのか、朝夕の食膳にも出ず、天皇と顔を合わせることをしなくなりました。そこで天皇は弟の小碓命(おうすのみこと)(のちの倭建命)に兄をやさしく諭すように命じられたのですが、小碓命は、やさしく諭すのではなく、あろうことか命をうばってしまいました。それを聞いた天皇は驚き、またその猛々しさを恐ろしく思い、宮廷から遠ざけるように西国、東国と各地の平定を命ぜられました。

古事記には、倭建命の武功と望郷の思い、また大和を目前に落命する場面が切なく語られています。奈良県桜井市の日本最古の道、山の辺の道には国思歌(くにしのびのうた)の一つ「大和は国のまほろば...」の歌碑が建てられています。近くには父、景行天皇陵があり、日本の原風景が広がります。倭建命の故郷にたたずみ、その心に思いをはせてみてはいかがでしょう。

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